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<軟式野球のあゆみ>
野球は1839年(天保10年)に、アブナー・ダブルディーという1米国人によって考え 出され、アメリカで発達したもので、初めて日本に伝えられたのは明治6年(1873年)とされている。それがしだいに普及し、大正4年に第1回全国中等学校野球大会(朝日新聞社)が、その後春の中学校選抜野球大会が開催され、全国の青少年たちに刺激を与え、野球熱が広まって行きました。この頃、子供たちはテニスボールなどを使い野球を楽しんでいましたが、ボールの耐久性や軽くてスピード感に乏しいなどの理由からしだいにうすれてしまいました。そして大正8年に東神ゴム工業株式会社(神戸市)が試行錯誤のすえ、軟式野球ボールが誕生しました。この軟式野球ボールの誕生によりこれを使用した少年野球が急速に発展していったのです。
一方、大正末期のころにはこのボールを使う野球が大人にまで及び、少年野球と共に一般に広まり大衆スポーツとして急激な発展をとげたのです。大正9年4月に大日本少年野球協会が神戸を本部に誕生し、全国大会を開催していました。そしてしだいに強化拡張され、大正15年、横井春野氏が分離独立し同名の大日本少年野球協会を東京に設立しました。しかし、昭和7年に学校野球統制令が施行されて、児童の対抗試合が禁止され少年野球は事実上休止となってしまいました。
一方、昭和4年に前記の大日本少年野球協会(神戸市)が推進母体となり、一般の軟式野球の組織、日本軟式野球協会が結成され主に西日本を地盤として全国大会を開催していました。この協会が使用した「軟式野球」という名称が日本におけるこの名称の起こりでした。この協会の誕生から、大日本軟式野球協会、日本軟式野球連盟、極東軟式野球協会などの団体が次々と生まれていきました。これも昭和13年7月、ゴム統制令が公布され翌年春にこれらの団体を統合した全日本軟式綜合協会に変わり全国大会を3回開催しました。しかし、戦争が激しくなり、軟式野球のブランク時代に入って行くのです。
終戦をむかえ、全国各地に軟式野球再興の気運が高まり、昭和21年の初めに結成された東京都軟式野球連盟が全国の府県に呼びかけ、文部省日本体育協会の協力を得て、昭和21年8月26日全日本軟式野球連盟が発足されたのである。そしてこの年から国体の参加と、天皇賜杯大会が開催されようになり、その後昭和32年から2・3部を対象にした高松宮賜杯が始められました。さらに昭和45年には少年野球が組織化され、少年部(中学年齢層)、学童部(小学年齢層)に分かれ全国各地でそれぞれ少年野球大会が開催されている。
元(財)全日本軟式野球連盟常任理事 成田 理助氏の著書を参考
<少年野球の現状>
少年野球は、少子化やサッカー人気の影響を受け、チーム数も減り停滞した時期を迎えていると言われておりましたが、野茂投手をはじめイチロー選手や松井選手らのメジャーでの活躍で野球熱も徐々に復活し、一時の危機的な状況は脱していると思われます。
それぞれのチーム運営にはが指導者のみならず、保護者の協力が絶対的に必要となりまが、時間的に負担を強いられることに難色を示す保護者が、子供を少年野球チームに入れることに二の足を踏んでいると聞くことも少なくありません。
また、せっかく入団しても中学受験の勉強に押され、6年生の春いや5年生の後半からはグランドから姿を消す子もいます。少年野球のピーク時にグランドに立てない、チームの仲間と共有する時間が持てない、確かに勉強も大切ですが、なんとももったいないことです。
今日の少年野球チームにおける課題は、休みの日に家でゲームなどで一人で遊んでいる子供をグランドにいかにして来させることができるのか、そしてグランドにきた子供に、少年野球を通じて少年期の素晴らしい思い出を残してやれるのか。
この課題に積極的に取り組んでいただきたいと思います。
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